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A.I.P. journal
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未経験から40歳で独立。その情熱の原点

2019年08月30日
プロ・インタビュアー伊藤秋廣

企業経営者からアスリート、医師や著名文化人まで、年間500人を超える方々へのインタビューワークを実施するプロインタビュアー・伊藤秋廣。実は40歳になるまで、ごく普通のサラリーマン生活を送っていた。どのような転機があってプロインタビュアーになったのか。その成り立ちについて聞いてみる。

――社会人のスタートは?

40歳になるまで、ごく普通のサラリーマン生活を送っていました。最初の社会人経験は地方都市に本社がある上場企業の経理職。それから自らが希望していた営業広報部門へと異動となり、なんとなく順調な会社員生活のスタートは切っているげな感じでしたけれども、三年目にして突然、辞めてしまったんですね。

本社が地方にあったので、東京が恋しくなったというか、現場から遠い場所にある本社部門での仕事が、何となく空虚に感じられたのですね。結婚したばかりだったのですが、若かったし、東京に戻れば転職だってどうにかなるだろうと甘く考えていまして、そこから転職難民生活が始まりました。

創立間もないベンチャー企業に入社するも、あまりにハードな仕事に辟易してすぐに退社。続いて、妻の親戚が経営する電気工事会社にバイトから入って、そのまま正社員になって、マンホールをあけたり、鉄塔に上ったり、ベテラン職人を相手に施工管理の仕事なんてやっていましたよ。すっかりガテン系でしたね。

でも、“このままじゃいかんなぁ”と、電子機器の部品メーカーで生産管理兼営業みたいな仕事をしたり、粉体プラントのエンジニアリング営業をやったりと、もう、2~3年でころころと会社を変えるような状態。長続きしないんですよ。典型的な“ダメ夫”でしたね。

どうも組織で働くのが性に合わないと言うか…けっして協調性がないわけではないし、コミュニケーション力もそれなりにあったのですが、特に上司とうまくいかないんですよ。

結局、性格的に理不尽なことが我慢できないタイプだったのですね。ずっと、自分は社会不適合者じゃないかと悩んでいました。今思うと、よくぞ奥さんも黙って着いてきてくれたなぁって思いますよ(笑)。

――ライティングの経験は?

学生時代からモノを作ることが好きで、例えば音楽でいうと作詞作曲してライブをやったり、小説を書いてniftyの文化フォーラムで発表したりというのを趣味として続けていました。

そして社会人になって結婚して38歳のとき、ある雑誌にテキストを投稿して少しお小遣いを稼ぐようになったんです。副業ですよね。サラリーマン生活を送りながら、平日の夜と土日に副業で執筆するというハードな日々を送っていました。

それがおもしろくなって、どんどん取引先を増やしていったのですが、副収入は入るけれども、まったく暇がないから遊びにも行けない。これでは、意味がないなぁと、40歳になったのを機に、どちらかを選ばなければと思って、奥さんに相談したんですよね。

子供もいたし、家も車もローンが残っていたのですが、人生は1回しかないんだから独立したらって言ってくれて…。奥さんに背中を押してもらってフリーランスになったのです。

――どのようにしてクライアントを増やしていった?

駆け出しの頃は、ガンガン営業していましたよ。一応、元・営業マンですからね。名刺・ロゴ・ホームページには真っ先に投資して、きちんとカタチだけは整えつつ、インターネットの掲示板に書き込んでPRしたり、出版社の求人を見つけては、“社員でなく外注でいかが?”と提案したりしていました。

当時はまったく実績がない状態だったで、ほとんど手応えはないんですよ。でも、もう引き返せないですから、ひたすら営業活動を進めるしかありませんでしたね。中には物好きな編集者もいらっしゃって(笑)、こんな私を拾って育ててくださったり。

とにかく実績を積むしかありませんから、どんな仕事にも食らいついていくしかありませんでした。最初の頃はホストやキャバクラの取材もやりまして、夜中の3時に自転車で新宿・歌舞伎町まで行って取材して1時間かけて自宅に帰ってきたり(笑)。

世の中に履いて捨てるほどいるといわれていたライターの中から選んでいただくためには、どうしたらいいかを常に考えていました。僕でなければできないことは何か?当時、営業経験やサラリーマン経験の中で培われてきたトーク力や取材力が評価されていたので“これだ”と。インタビュアーを名乗り、“自分はプロのインタビュアーだから”と自意識を高めつつ経験を重ねていきました。

ちょうどコンテンツの時代の到来とともにWEB業界のニーズとマッチしたのか、今では単独・グループを含め、年間500人以上の方々にインタビューさせていただくまでになりました。

ご信頼いただけるお客さんを増やしていきながら、それなりに評価されるようになり、紹介、紹介で各方面からお声がかかるようになって、今年で11年目を迎えることに。10年以上続いた職場なんて、これまでの人生の中ではなかったですからね。やっと自分の居場所が見つかったというか、自分が評価される仕事が見つかりましたね。今、流行りの“働き方改革”ならぬ、思いっきり、“生き方改革”をしたって感覚です。

――ターニングポイントになったのは?

一つは荒川静香さんへのインタビューですね。ご引退後、銀行の社内報でオリンピックイヤーに選手の話を聞くというのがあったんですよ。荒川さんが部屋に入ってくると空気がぴりっと変わりました。その道を極めている人は言うことが違うんですよね。あれは本当に勉強になりましたし、“ここまで来たのだ”という感慨もありました。

あとは、明治大学の齋藤孝先生と数学者の秋山仁先生の対談。斎藤先生はバランス感覚もいいしこちらが求めていることをしっかりと理解して対応してくださる方なんですが、秋山先生はやんちゃですから(笑)、話の流れを気にしないで自由にお話し下さる方でした。

限られた時間の中で、決まったテーマに沿ってうまくハンドリングしていかなければならないというプレッシャーの中、どうにかうまくいって…。終了後に気づいたのですが、緊張のためか背中が汗びっしょり…。

でも、その経験のおかげで自信もチカラもついたと思いますね。以降、かなりヘビーな現場に直面しても、“あの対談ほど難しい取材はないだろう”って思えば、すっと緊張もほぐれるようになりました。

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