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【現地ルポ】時代考証に必要な調査を重ねながら、地域特有の生活文化を次代に伝承する

2021年06月23日
現地ルポ重要文化財池田建設

秋田県の指定有形文化財「旧松倉家住宅」の修復整備工事が進行している。池田建設が手がける工事現場に密着取材。貴重な光景を目にした(20206月 取材)。

 

 今回、記者が訪れたのは、秋田市旭南の馬口労町通り沿いに佇む、切り妻屋根が特徴の古い木造建築。県指定有形文化財に指定されている旧松倉家住宅である。この価値ある建造物の修復整備工事が進んでいる。手掛けるのは池田建設と秋田市の建設会社である長谷駒組の共同企業体。令和元年7月1日から令和4年12月28日までが工期となっている。

 この松倉家は江戸時代、灯火用の油を商い、明治以降は地主として栄えた。明治期に建てられた主屋に加え、江戸末期の米蔵と文庫蔵が残る。現場代理人である池田建設・土取慎(つちとりまこと)氏は、「母屋は明治39年5月9日という棟札があり、文庫蔵は慶応2年(1866年)の棟札、米蔵は棟札がありませんでしたが、天保10年(1839年)の祈祷札が残っていました。以前に調査された方などの記録によりますと、確かに米蔵がいちばん古くから残っているようです」と説明する。ユニークなのは、蔵全体を「覆屋(おおいや)」で覆っている点。これは秋田地方に特有の様式のようだと言う。

「蔵全体を建物で覆っているので、すべて室内のようになっていて、繋がっています。米蔵と文庫蔵は土間を挟んで、主屋の背後に並び、両蔵の規模はほぼ同じ。明治37年、この辺り一帯が大火で消失したらしく、その関係で以前あった母屋が無くなってしまい、米蔵と文庫蔵のみになってしまったそうです。大きな米蔵に2階部分を作り、火災後は一時期米蔵で住民が暮らしていたbのだとか。その名残で、米蔵に一部2階部分が残っていましたが、火災後は全体的に2階を作って生活をしていたようですね」

 松倉家は、元は油問屋で、その後、土地を購入し地主になったのだという。明治23年の秋田県内の大地主名鑑というものが床の間に残されており、そこにも『松倉家』が記載されていたのだとか。

「平成17年までは、この家屋の所有者であるご老人が1人で住まわれていたようです。残念ながらお亡くなりになって、東京に住むご子息が秋田市にすべてを寄贈したという流れです」

 県内に現存する伝統的町家の中では大型で改変が少なく保存状態がよい方なのだとか。ところが、経年劣化による傷みも当然のことながら、所々に見られるようになり、この文化的価値を後世に残すためにもということで、所有者である秋田氏が修復工事に踏み切ったのだという。

「修復の条件は、他の多くの文化財修復と同様、『きるだけ建造された時代と同じ素材を用い、当時の姿に戻すのが基本』というもの。それは、木材はおろか、壁に使う土にまで及びます。現在は母屋をメインに修復を進めていますが、母屋は基本的に杉材と、土台関係に栗材が使われています。あまり種類は多くありませんが、それなりに良い材料を使っていたようです」

 往時の材料を使用しなければならない。その条件を満たすためには、当然、調査、および時代考証を加える必要がある。そこは単なる修復工事とは大きく異なる点であると同時に、経験の浅い建設会社では心もとない。薬師寺をはじめ、多くの経験を重ねている池田建設だからこそ、発注者も安心して任せることができるのだろう。

「もちろん、私たちだけでなく専門の設計会社の方と一緒に情報取集を行い、検証を行っていきますが、経験を重ねれば重ねるほどに、知識や知見が高まっていきます。すると、なんとなくですが、推理する力や想像力も働くようになっていきます」

 建造された時代に近づけることは、それほど簡単なことではない。すべての材料を事前に用意できるわけではないので、ひとつ一つ、目で見て確認しながら進めるしかないという。

「図面にあっても実際に確認してみると、なかなかその通りになっていないことも多く、新たな発見もあります。例えば、雨戸の柱を修復しようと戸当たりを外してみたら、内側に建具が入っていたような鴨居溝がありました。そうなると建具があった時代にまで戻す必要が生じ、調査時間が必要になります」

 さらに難しいのが、家主が幾度となく改造を加えていると、どの時代にまで戻すのか、検証を加える必要があること。基本的には、原型を判定できるものであれば、その形に戻すが、はっきりと分からないケースも。想像だけでは何も証明できないので、前に進めることができないという。

「例えば、この母屋のトイレは増築して作られているということが分かりました。タイルが貼られていたので、戦後あたりに作られたものと思っていましたが、床を剥いで見ると一段下がって土間になっていて、床にまでタイルが貼られていました」

 床を剥がしてはじめて現れたトイレのタイルを調べてみると、大正期に作られたことがわかったのだとか。できるだけ、原状復帰を試みようと、一度剥がしたタイルを元に戻すことにしたのだという。

「また、お風呂場にもタイルがありましたが、それは現存するメーカーのもので、大正前期、大正の終わりから昭和の頭、それより10年ほど経ったものという、同じお風呂場でも3種類のタイルが貼られていました。これは想像でしかありませんが、恐らく大正の頃がこの建物の一番良い時期で、生活していた中でもメインの時期なのではと考え、関係者協議のうえ、大正の時代に戻そうという話になりました。このような調整を細かくやりながら進めています」

 現在(2020年6月取材時)は、揚屋(建物を移動させるために土台や基礎の部分から上を持ち上げた状態)を行い、基礎の打設が終わった状態にあった。土台を据えるための工事や、柱の根本が腐っているところを切って継いだりしていた。

「揚屋が始まるまでは、調査などの下準備期間でした。どうしても台所やトイレなどが、新しく直されていたりするので、それらはすべて取り除きました。生活していたこともあり、基本的に足元以外は傷んでいません。壁の左官などは直しますが、ほとんどはそのまま使えます。なので足元と改造されていたところ、左官、屋根が直れば修復工事の大部分が終了。非常にスムーズに進んでいます」

 秋田市の依頼により、年に一度は一般向けに工事現場の公開をしているという。毎回、予想以上の希望者が現れ、注目度の高さを実感しているという。「近所の方の中には、“小さい頃にこの家に遊びに来た”という方もいらっしゃって、とても懐かしがっていましたね。地域の方にとってはそれだけ馴染みのある建物だということです。文化財保護という社会意義だけでなく、地域の方々にとって思い出深い場所を修復できることにも喜びを感じています」

取材協力:池田建設株式会社
http://www.ikeda-kk.co.jp/

取材・執筆:伊藤秋廣(エーアイプロダクション)

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