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フードセラピストとの対話の中で、カラダと心が嬉しくなるレシピが生まれる“特別な場所”

2022年09月10日
料理人

“フードセラピスト”の石光映美子さんが、神奈川県葉山市に完全予約制のレストランをオープン。その“思い”をじっくりお聞きしました。

フードセラピストと呼ばれるようになった

自らが料理を作るのはもちろん、レストランやカフェから依頼を受けて、テーマに沿ったメニューを開発したり、最近は生産者と企業との橋渡し役を担うなど、食に関する様々な活動に従事する石光映美子さん。“フードセラピスト”という肩書は、自らがつけたものではなく、彼女の料理を口にした知人の一言がきっかけとなり、いつしか周囲の人々の間で、そう呼ばれるようになったのだといいます。

「知人のセラピストが主催するサロンのお手伝いしたときのことです。“映美ちゃんが作る料理を食べると、カラダも心も嬉しくなるから不思議。まるで食のセラピストみたいだね”と言ってくれたのです。元々、味覚として美味しいだけでなく、食べている人の心に響いたり、その方の身体が細胞レベルで喜んだり、とにかく私のお料理でその方が元気になって、前に進んでいくためのお手伝いができればと考えていたので、その思いが伝わったのかなと嬉しかったですね。その気持ちや姿勢は今も変わらず、自分の軸になっているのは確かです」

石光さんが料理を作ったり、メニューを考えたりするときには、いつでも提供する相手を知ろうと努めるのだといいます。
「目の前にいらっしゃるお客様であれば、直接的なコミュニケーションの中から、相手が求めるものをキャッチして、自分として最大限、何ができるかを考えます。味や食材の好みを聞くだけでなく、その佇まいや目線の動きから、相手のコンディションを読み取って、こちらから提案することもあります」

相手の好みや食材の旬や味付けなどの物理的な要素と、その相手へのこまやかな配慮という“思い”がバランスよく融合したときに、その人にとって、最高の味というものが具現化されるのだとか。
「お店のメニューを考えるときも、基本的な姿勢は同じです。このお店にやってくる客層についてしっかりリサーチして、そして今、彼らが何を求めているのか?あらゆる側面から考え、相手の立場になりきって想像していきます。用意したメニューを実際に食べられたお客様の反応も確認しながら、改善することも忘れません」

だからこそ、石光さんが用意するメニューに、“まるで個人的に用意もらったかのような温かみ”を感じるファンが増えているのでしょう。

導かれるままに住むことを決めた葉山の地

そんな石光さんが葉山に移り住んだのは、2018年4月のこと。当時、青山にあるカフェ「Life Creation Space OVE」をはじめ、各種イベントや各国の大使館へ出向く出張料理人としても活躍。
「充実はしていたものの、仕事も家庭のことも、“ひとまず置いておく”ことができない忙しさに巻き込まれていました。仕事は好きだけど、許容できるラインを越えてしまっていたのですね」
このままでは自分らしい料理が提供できなく、そんな不安が幾度となく頭をよぎったといいます。

そんなとき、突然に天啓が訪れます。イベントの仕事が突然キャンセルになり、急に空いた時間を使って、大好きな鎌倉へ行こうと考えたと言います。ところが電車に乗って鎌倉駅に近づくにつれ、“もう少し先までいってみたい”という思いが沸き立ってきたのだとか。
「時間の余裕ができたので、普段はできないことをしたい、いつも行っている場所よりももっと先に行きたくなったのだと思います」

何の計画もなく、導かれるままに逗子駅を降り立ち、多くの乗客が吸い込まれていく、“葉山の海周り”のバスに乗ることに。たくさんの人が「森戸神社」という停留所で降り始めたので、石光さんも一緒に降車することにしたのだとか。
「海に浮かんだ森戸神社の美しさはもちろん、その周囲で生活する方々の日常的な光景が、非常に活き活きとして楽しそうに私の目に映り、衝動的に“ここに住もう”と決意。すぐに娘に、『ママ、ここに住もうと思う』と連絡していました」。

“住む”と心に決めた瞬間から、石光さんは行動を開始します。すぐに不動産会社の選定からはじめたとのだとか。
「とりあえず鎌倉・逗子エリアを手掛ける不動産会社を調べ、HPのデザインが楽しそうだと感じた会社に相談。休みと時間があけばすぐに内覧にいく日々を過ごします」

一番大切な条件は“楽しめること”だったといいますが、もちろん大切な家族が一緒に住めること、他に高齢となっていたティモという名の愛犬が住めること、そしてピアノが弾けることの3つの絶対条件を満足できるのは、賃貸ではなく家を買うしか選択肢がなかったのだとか。しかし、そんな資金はない…。
「相談した不動産会社の営業の方が一生懸命、銀行への融資をつないでくれて、住宅に特化した銀行の方と出会うことができました。半年以上かけて、物件を探しながら審査を通すために奔走。その中で出会ったのが、築49年目を迎えた今の家です」

リフォーム資金の捻出もままならぬ中、大切な仲間や友人たちが動いてくれます。
「仕事仲間や私の料理のファン、料理のアシスタントに来てくれていた方や娘の大学の同級生などが手を貸してくれて、みんなで一緒に、この家に命を吹き込んでくれます。家財道具を分けてくれる人もいました。本当にありがたい話です」

 

コロナ禍の中で生まれた“レストランを持つ”という発想

葉山に住み始めて、石光さんの生活は大きく変わります。
「コロナ禍の影響でイベントが激減。世の中的にもニューノーマルが提唱される中で、自身の働き方を見つめなおすきっかけにもなりました」。
表参道のお店への通勤は1か月のうちに10数日あるものの、葉山でできる仕事にシフト。地元の方との関りに重点を置きはじめたといいます。
「ふらっと家の周りを散歩したり、バイクで走ったりするようになると、地元の方との関りを深めることもでき、地元の影響力のある方や飲食のある方と繋がりが生まれるようになりました」

そして、葉山でできることのひとつとして自分自身のお店をもつ決意をします。
「レストランを開きたいと思ったことはこれまで一度もありませんでした。理由は“怖い”というのと、性格的にお客様を待っているのが嫌だったのですね。どうしても、こちらから料理を作りにうかがうというスタンスが身に染みついていたのです。でも自分の生き方、働き方を見直す中で、ここ葉山でできることはレストランであり、私にできることの集大成とするために、一つひとつ、今できることを確実にやっていこうと考え決意しました」

自分ひとりではなく、今までお世話になり懇意にさせてもらってきたファンの方に声をかけてメニューを一緒に考案したのだとか。「標高100メートルの山の上で、車がないと難しいため、何かのついでではなく明確に
“ここに来たい”という目的がない限り絶対にお客様はいらっしゃいません。だから、絶対に満足していただくために、ここでしか味わえないメニューを用意する必要がありました」
そこには一切の妥協は許されないため、しっかりお客様と向き合えるよう、完全予約制、1日限定数組とし、値段設定なども含め半年弱ほどの議論、準備期間を設けたといいます。

まるで手紙を書くように料理を届けたい

考え抜かれた末に生まれたのが、フードセラピストと呼ばれるようになった石光さんの料理の原点である、人のカラダも心も嬉しくなるメニュー。
「基本的には二十四節気に合わせてこの土地の食材を活用し、季節を感じさせるものを用意。コースは決まっているものの、お客様の身体や心の状態をあらかじめくみ取ってアクセントとして入れるよう考え抜きます」

いわゆる“一見さんお断り”にしたのも、そんな理由から。コミュニケーションを取りながら石光さんの料理を食べたことがある人に対するほうが、まるで“手紙を書く”ように料理を作ることができ、より高いパフォーマンスが発揮できるのだとか。
「この葉山の【場所】を私とお客様にとって特別な場所にしたい。これまでの経験の集大成、その最後にたどり着く場所がこのお店でありたい。自分が作りたいという料理の表現の引き出しを、今このレストランに集結させることができていると思っています」

今後は、さらに地元の生産者や食材の魅力を知ることで、より満足できる料理をお客様に提供できるようになるといいます。
「もっと地元の方とのコミュニケーションを深め、この三浦半島の食材を自由自在に扱い、お互いに納得できるような料理を届けたいとおもっています。“このような方が海に出て”“このような想いで”など、生産者の方の本質が見えるまで繋がって、地に足が着いた『本物』を伝えることができる。そんな料理と場所を作りたいと思います。私の料理をツールにして、生産者の方とお客様、そのほかの多くの方を繋げる、パイプとしての役割を果たしたい。その結果、訪れる方々に楽しんでいただければ、私も幸せです」

 

石光映美子さんのお店
La lettre(ラ・レットル)
https://lalettre.life/

 

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